松平容保2(晩年
【福島県会津若松市・福島県立博物館内】
二つあるうちのもう一つの容保公像。
風貌からして晩年の頃。
珍しいですよね、こう、歴史舞台から降りたあとの姿の像って。
維新後は黙して語らず。
戊辰で散った方々の慰霊にも尽力していたという容保公。
賊軍の汚名を着せられ陰に埋もれましたが…
あの動乱の中にあってもあの誠実さ、あの公平さは
もっと評価されて然るべきと思うんだけどな。
とはいえ私も詳しくない頃は、会津に生まれ育ちながらも
徳川や会津は、古くて頑質で要らないもので、
倒されて当然の歴史、という認識でした。
(今はもう改めましたが)
教科書で教わる印象ってそうですよね。
地元ゆえ、最後まで忠誠を貫いて滅んだ会津を誇りに思っていたけど
一方で、敗戦国ならではの恥みたいなものも
無意識にこびりつけられていたようにも思うんです。
会津は「愚かしく」共に滅んだのだと。
白虎隊だけは、その悲劇さゆえに大声でPRしても
容保公をはじめ会津が歩んだ歴史は地元で顕彰されていない。
大河が放映されても、行政は一過性の八重ブームに乗っかるだけ。
地元の学校で、もっと会津の真の歴史を詳しく教えればいいのに。と思う。
もういっそワタシを呼んでくれてもよくってよ!(何様)
熱く語るよ!
*
会津人
松平容保(1) 新島八重 白虎隊 山川健次郎
ほか藩主
徳川斉昭 松平春嶽
幕府方
井伊直弼 勝海舟 一橋慶喜
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