板垣退助(1)
【栃木県日光市・神橋近く】

日光東照宮近くに建つ板垣退助像。

私これ、予備知識なくて
てっきり嫌味で建てられたものだと思ってました。
上野の、彰義隊の墓の前にある西郷像的な。
いわゆる示威的な、勝者が制圧したことを世に誇るためのものだと。

だってこの感じ。腕組みしちゃってサ、偉そうーにフフンと東照宮の方を見てるよう。
わー、やなカンジーと思いつつ看板読んだところ…(以下抜粋)
『戊辰戦争時、彼は新政府軍の将として、日光廟に立てこもった
大鳥圭介らの旧幕府軍を説得し、社寺を兵火から守ったと言われる』
つまり…社寺を守った恩人…
で、その縁からここに建立された、てことで。

板垣さん、すみませんでした…!

完っ全に偏見から疑ってました!!(土下座)
やー。本当ー驚いた。だって攻める側なら
見せしめで破壊・炎上させようとしてもおかしくないのに。

…本当は、別に社寺を守るためじゃなく、単に不利な戦いを避けただけ、
とかいうオチがあるんじゃないの、とさらに疑ってみたワタシ(根性悪)でしたが、
板垣の出身土佐の藩祖・山内一豊は徳川方だった、てことであっさり納得しました。
そうか。そうだった。容堂公も基本佐幕派でした。
敵対する立場になったとはいえ
東照宮は守るなんて確かにすばらしい!(やっと褒める)

一度は軍需で徴収されたものの「昭和42年に再建」とあるので
よくよくの恩義が感じられます。
こういう美談のもとに建立される銅像もいいですね。
偏見で疑うとか、心が汚いヨ!


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新政府側
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